日本の大学へのパイプを自ら作り出し
日中両国の架け橋となる存在となる
常に相手の立場に立つことにこだわり、
文化や言語の違いを越えたつながりを確立させる
氏名
Xia Jia Min(カ・カビン)国籍
中華人民共和国日本語能力
母国語レベル使える言語の種類
日本語 (母国語レベル)在住
神奈川県学校名
東京大学学部・学科
総合文化研究科 地域文化研究専攻学年
研究生卒業年度
2018卒志望業種/業界
業種・業界は問いません志望職種
与えられた仕事ならなんでも希望勤務地
どこでもOK学生団体
---日常または過去にどのような活動(例えば学生団体所属等)に力を入れていますか?または入れてきましたか?
私が今までに最も力を入れて取り組んだことは、中国での大学生時代に所属していた「国際プロジェクト」という団体活動です。私の大学には、世界各地に姉妹校が存在しています。我々の団体は、その姉妹校との交換留学プロジェクトを宣伝することで、世界に飛び出したい中国人を支援します。一方、逆にその姉妹校からやってくる外国人の方たちがより快適に中国の生活を楽しんでいただけるようなイベントを開催するなどして、姉妹校と我々の大学をより強固に結びつけることを目的としています。そこで私は宣伝部長として、これらの活動や交換留学の情報をできる限り多くの方に伝える役割を担っていました。中でも私は日本の姉妹校との交換留学やイベントが主な担当でした。イベントの内容としては中国の学生と姉妹校からの留学生が出会える場としての交流会、日本の姉妹校との関連で言えば華道など日本の伝統文化を学ぶものが挙げられます。このようなイベントの内容を主にSNSを通じて発信したり、学生寮の掲示板に広告を貼らせていただいたりすることを通じて広報を図りました。
その中で、自分の行動により得られた結果・実績を教えて下さい。
この団体での活動は、常に国境を越えたものです。ですから国内だけで完結する活動には生じない、意見の相違や食い違いなどが頻発してしまうのです。さらに、我々の団体は利益を目的としてはおらず、文化を伝えてお互いの関係のさらなる発展を視野に入れています。ところが、相手側は、ビジネスの色合いを強く出してくる大学も少なくありませんでした。
そんな時大学の先生は、「常に相手の立場に立って考えること」の大切さを私に諭してくれました。特に立場も国も異なる相手との交渉となると、相手の利害を無視して議論を進めてしまいがちです。そのポイントを意識することで、交渉はさらに円滑に進み、団体の発展に貢献することができました。
私は宣伝部長だったのでメンバーをまとめることが求められましたが、そこでも先生の教わった考え方は生きました。初めは文句をたくさん言っていたメンバーが、彼らの立場に立つとことで自然とほめ言葉に代わっていったのです。最終的にはグループ内の関係が大きく改善され、仕事がスムーズに回るようになりました。私は、リーダーとしての素質を身につけられたことを実感し、自分にとっての収穫になったと感じています。
あなたが日本に来ることになった経緯を教えてください。
私の出身地である中国、広東省では、アニメなどの日本の文化が他の地域に比べて比較的普及しています。日本に興味を持つ若者が多いのです。私もその中の一人でした。小学生のころからよく下校後に日本のアニメなどを見ていたので、自然と日本に対する愛着が湧いてきていたのです。そこで、華道や着付けなど、日本の伝統文化にも挑戦してみました。
大学は外国語大学に入学したのですが、私は迷わず日本語を専攻することにしました。大学に入学してからは団体の活動を通じて日本人とも関わる機会もたくさんありました。それまでは、日本人の姿をテレビドラマの中でしか見ておらず、偏見も持っていました。たとえば、女性は専業主婦になるのが当たり前とされているのだと思っていました。しかし、実際に会ってみて、彼らは自分のやりたいことを自由に追及している印象でした。そして私は、さらに日本に行きたいと思うようになりました。大学に在学中に長野県でインターンシップを経験し、卒業後日本への留学が実現し、現在に至ります。
日本でどのくらい滞在したいか、日本で何を成し遂げたいかなど、あなたの日本での今後のビジョンを教えてください。
現在は日本で研究生として勉学に励んでいますが、将来的には日本語や日本の文化をさらに深く追及して、日本と中国の架け橋になれるような存在を目指したいと考えています。
私は中国の大学に通っていた頃、部長という立場で、日本と中国の大学を結びつける活動をしていたので、その思いは人一倍強いです。
私は、可能であれば日本に長く残りたいと思っています。そして日本の会社に就職することができたら、企画職につけたらと思っています。団体のリーダーとして自分が中心となり、さまざまなイベントや広報の戦略を練り上げていった経験が活きるはずです。将来どこで働くことになっても、どんな仕事をすることになっても、私を通じて両国の関係が深まっていく、こんな未来を思い描いています。
[インタビュー日:2015年2月]